講座紹介

“痛み”は生体防御という観点から、なくてはならない感覚です。しかし、炎症や腫瘍といった様々な原因によりしばしば難治性の異常な痛みを引き起こすことがあります。当講座では、この異常な痛みの末梢および中枢神経における発症機構の解明を目的に、様々な研究手法を用いて網羅的に研究を推進し、さらに、得られた研究成果を臨床へ応用することを目指しています。

また当講座の特色として、大学院生をはじめとする若い研究者に対し、研究成果を国内外の学会で発表する機会を与えています。特に大学院生に対しては、在学中に少なくとも1度以上、国際学会に参加するチャンスがあり、またニューイングランド大学、トロント大学、メリーランド大学、ミネソタ大学やピッツバーグ大学など国外の様々な大学への留学を奨励しています。さらに得られた研究成果を海外の一流学術雑誌に発表することを目標としています。

沿革

林髞教授時代

昭和10年,当時慶応義塾大学医学部生理学講座の助教授であった林髞先生が初代教授(慶応義塾大学助教授と併任)として日本大学歯学部に赴任され,生理学教室が誕生した。林先生はノ-ベル賞学者であるPavlov教授の研究室に留学し,条件反射の研究に従事した。日本大学に赴任してからも,条件反射に関する研究を推し進め,反射性唾液分泌機構の解明を目指した。また,林教授は木々高太郎のペンネームで推理小説を執筆し,第4回直木賞を受賞しており,あらゆる方面に関する豊富な知識を有する教養人であった。生理学教室に所属していたほとんどの先生方は,研究が結実し論文が完成すると慶応義塾大学に論文を提出して医学博士の博士号を取得していた。さらに,神奈川歯科大学の生理学教室には関園子先生が教授として赴任するなど,本生理学教室から多くの先生が他大学の重要なポジションを得るようになった。

栖原六郎教授時代

栖原六郎先生が昭和31年に後任の教授として赴任した。栖原先生は反射性唾液分泌機構の研究を推進し,多くの業績を残された。また,私立歯科大学として初めて,日本大学歯学部に大学院歯学研究科が開設され,日本大学として博士号を出すことができるようになった。また,助教授であった高下弘夫先生が35歳の若さで岩手医科大学歯学部口腔生理学講座の主任教授に赴任した。その後,栖原先生は日本大学松戸歯科大学(現日本大学松戸歯学部)の創立と共に松戸に移られた。

高下弘夫教授時代

昭和47年に,岩手医科大学歯学部生理学教室から高下弘夫先生が赴任した。高下先生は,顎運動の神経機構にも興味を持ち,ヒトの咀嚼筋活動解析を行った。また,インプラントの骨に対する親和性の組織学的解析や力学的解析など,当時としては非常に先駆的な研究が進められていた。しかし,高下先生は生理学講座に赴任して7年後,49歳という若さで逝去された。

角野隆二教授時代

昭和57年に東京医科歯科大学顎総合研究所の助教授であった角野隆二先生が教授として赴任した。同時に生理学教室の助教授であった永井甲子四郎先生が総合歯学研究所病態生理学講座に移られた。永井研究室ではカルノシンの創傷治癒機構に関する研究を進めた。一方,角野先生は東京大学脳研究施設から米国予防衛生研究所(NIH)に留学してDubner教授の下で行った研究の経験を生かし,口腔顔面痛の神経機構に関する研究を進めた。

岩田幸一教授時代

平成14年、大阪大学歯学部口腔生理学教室の助教授であった岩田幸一先生が教授として赴任した。岩田先生は日本大学歯学部生理学講座の出身であり,角野先生と同様NIHのDubner教授の下で研究した経験をいかし、角野先生の研究を継承し,一貫して口腔顔面痛に関する研究を進めた。岩田先生は数多くの論文をインパクトファクターの高い国際誌に発表し、生理学講座の研究業績が飛躍的に向上した。

篠田雅路教授時代

令和2年、生理学講座の准教授であった篠田雅路先生が主任教授に就任した。岩田先生の研究を継承し,口腔顔面痛に関する研究を進めている。