主な研究テーマ紹介

1. 口腔顔面痛に関連した三叉神経節内細胞間コミュニケーション

近年,歯科医師が取り扱う“異常疼痛”は歯や歯周組織に関係するものだけでなく,顔面や頭頚部の痛みも含まれるようになってきました。さらに,口腔顔面領域に起こる痛みは,原因の複雑性から様々な症状を引き起こし,歯科臨床において治療が困難な場合が多くみられます。特に,三叉神経損傷や舌痛症などによって引き起こされる異常疼痛に関しては,そのメカニズムが十分解明されておらず,非常に多くの患者が苦しんでいるのが現状です。

顎顔面口腔領域への侵害刺激は三叉神経節ニューロンで受容され,三叉神経脊髄路核尾側亜核に伝達されます。その侵害情報は上行し,視床を経て大脳皮質体性感覚野や大脳辺縁系に伝達され,はじめて「痛み」を認知します。この末梢から中枢神経系に至る疼痛伝達経路のどこかに可塑的変化が起こることにより,顎顔面口腔領域の異常疼痛が発生すると考えられています。日本大学歯学部生理学講座では,神経細胞だけでなくグリア細胞や免疫細胞といった多くの細胞の三叉神経節における可塑的変化が,異常疼痛発症の原因となる末梢性感作,中枢性感作および脱抑制を引き起こしていることを解明してきました。

顎顔面領域を支配する一次侵害受容ニューロンの細胞体は三叉神経節に存在し,さらに衛星細胞,マクロファージやリンパ球が存在しています。近年,これらの非神経細胞がさまざまなシグナル分子を介して感覚ニューロンの興奮性調節に重要な役割を果たしていることを明らかにしました。実際の病態に近似した顎関節症モデル,舌痛症モデルや舌癌性痛モデルを開発し,その異常疼痛発症メカニズムの解明に取り組んでいます。

われわれが解明してきた三叉神経節内情報伝達メカニズム

1)顎関節症に伴う口腔顔面痛発症機構の解明

顎関節症の病態に近似した咬筋過収縮による咬筋痛モデルを開発し,過収縮後の咬筋への機械的刺激によるATP放出増強およびIL-1bシグナルを介した咬筋投射ニューロンにおけるP2X3受容体の発現増加が,咬筋痛に関与することを示した(Shinoda et al., 2005)。さらに顎関節痛発症後,三叉神経節に存在する衛星細胞の活性化によるTNFaシグナル増強を介した咬筋投射ニューロンの興奮性増大が,咬筋痛を発症させることを明らかにした(Ito et al., 2018)。

2)異所性口腔顔面痛発症機構の解明

口腔顎顔面領域への起炎物質投与によって生じる異常疼痛は,一次ニューロンにおけるP2X3,TRPV1やTRPA1の過敏化が関与していることを確認した(Honda et al., 2017)。さらに,口腔顎顔面領域の局所炎症により三叉神経節で,炎症部位の入力を受けるニューロンからのNGFシグナル増強による非炎症部投射ニューロンTRPV1発現増加,炎症部投射ニューロンからのHSP70放出増強,Cx43を介した活性化satellite cellからのIL-1β放出増加により非炎症部投射一次ニューロンの興奮性が増大し異所性口腔顔面痛が発症することを見出した(Shinoda et al., 2011; Ohara et al., 2013; Komiya et al., 2017)。また,三叉神経脊髄路核尾側亜核においては,Fractalkineシグナルによるp38を介したIL-1b放出増加などによる二次ニューロンの興奮性増大が異所性口腔顔面痛を発症することを解明した(Kiyomoto et al., 2013; Kiyomoto et al., 2015)。

さらに,口腔顎顔面領域に投射する末梢神経損傷後に三叉神経節にて,損傷ニューロンからのNO放出,Cx43を介したSatellite cellの活性化,三叉神経節内浸潤Macrophageの集積,非損傷ニューロンにおけるTRPV1発現が異所性口腔顔面痛に関与する(Sugiyama et al., 2013; Kaji et al., 2016; Batbold et al., 2017)。

3)口腔顔面領域の癌性疼痛発症機構

舌癌性疼痛には,三叉神経脊髄路核尾側亜核のP2Y12シグナルを介したミクログリアの活性化が関与することを見出した(Tamagawa et al., 2016)。さらに,舌発症初期において,Endothelinシグナルによる舌癌細胞から放出されるb-endorphinが舌投射ニューロンの興奮性を減弱させることにより,初期舌癌性疼痛発症が抑制されていることを突き止めた(Furukawa et al., 2018)。

2. 三叉神経脊髄路核尾側亜核における口腔顔面痛制御機構の解明

中枢神経系はニューロンとその10倍も多く存在しているグリア細胞から構成されています。グリア細胞は1919年にPío del Río Hortegaによってミクログリア、アストロサイトおよびオリゴデンドロサイトの3種に分類され、今日では、ニューロン機能や生存など脳内環境の維持に関わることが分かってきています。一方で、グリア細胞の機能異常により中枢神経機能の破綻が生じることも多くの研究により明らかとなっています。慢性的な疼痛が生じる際にもグリア細胞は寄与していますが、その全容は未解明です。

これまでに、当研究室では口腔顔面領域の感覚情報を伝達する眼窩下神経(三叉神経第2枝)を損傷させることで、情報伝達の中継核である三叉神経脊髄路核尾側亜核において、ミクログリア、アストロサイトおよびオリゴデンドロサイトが活性化することを見出しています。異種細胞間の情報伝達が最終的にニューロンの活動性の亢進に寄与していることが想像できますが、これらの分子メカニズムは不明です。慢性的な痛みを理解するためには、異種細胞間の情報伝達の基本原理を理解することが必要不可欠です。

1)痛みへのミクログリアの関与

眼窩下神経の損傷7日目における三叉神経脊髄路核尾側亜核の染色画像
マゼンタ:ミクログリア、緑:C1q

眼窩下神経の損傷により三叉神経脊髄路核尾側亜核のミクログリアにおいて補体C1qが発現することを見出しています。ミクログリアで合成されたC1qがアストロサイトの活性化を介してニューロン活動を亢進させることで痛みを引き起こしていました (Asano et al., 2020)。今後の検討課題として、どの様な要因がミクログリアでC1qの合成を引き起こすのか、そしてC1qがアストロサイト内にどのようなシグナルをもたらすのか明らかにしていきます。

2)痛みへのオリゴデンドロサイトの関与

パッチクランプ法による三叉神経脊髄路核尾側亜核ニューロンからのmEPSCの記録
破線は電極を示す。

眼窩下神経の損傷により三叉神経脊髄路核尾側亜核のオリゴデンドロサイトにおいてInterleukin-33 (IL-33)が増加することを見出しています。IL-33はニューロンに発現するIL-33受容体を介して、NMDA受容体のサブユニットであるGluN2Bのリン酸化およびGluN2Bを介したシナプス電流の増加を引き起こします。今後は、どのような因子がオリゴデンドロサイトの活性化に関わるか明らかにしてきます。

3) 軸索再生へのマクロファージの関与

下歯槽神経(三叉神経第3枝)の切断除去後に軸索再生が生じることが分かっています(Inada et al, 2021)。軸索が再生する状況下においてマクロファージの関与を見出していることから、マクロファージがどのようにして軸索再生に関わるのか明らかにしていきます。

3. 舌痛症における脳内機構の性差について

舌は、物を食べたり発声したりするための重要な動きをする運動器です。また、味や温度を感じるためのセンサー(受容器)を持っている感覚器でもあります。この感覚センサーからの情報の中枢処理機構はいまだ明らかになっていません。

舌痛症は難治性で、女性に好発することが知られていますが、性差を考慮したモデル動物は開発されておらず、有効な治療法がないのが現状です。

我々の研究では、舌の体性(特に痛み)感覚中枢情報処理機構について調べ、以下の点について研究することを目的としています。

1)免疫系の舌異常感覚情報中枢処理機構の解明

免疫機構の違いが正常時や既存の病態モデルにおいて舌の感覚情報中枢処理機構に関わっているかを明らかにする。オスはマイクログリアを介して、メスはT細胞を介して舌からの情報処理を行っているかどうかを調べます。

2)臨床症状に則した舌痛症モデル動物の開発および三叉神経感覚核群での情報処理機構の解明

臨床症状に則した舌痛症モデル動物を開発し、その三叉神経感覚核群での情報処理機構を明らかにする。臨床では舌に器質的変化がないのに舌痛症が発症しています。このような臨床例の病態に沿ったモデルを開発し、発症機構を調べます。

3)性差のある舌痛症の新規治療法の開発

性差のある舌痛症の新規の治療を提案する。女性に多い舌痛症に対する治療方法が提案できることを最終目標にします。

4. 口腔内痛の発症メカニズムの解明

様々な動物疾患モデルを用いて行動学的、組織学的、分子生物学的および電気生理学的な手法を用いた基礎研究を行っています。

1)口腔がん治療の副反応緩和に向けて

口腔がん治療の副反応として潰瘍性口内炎や感覚異常、ドライマウス(口腔乾燥症)などが生じ、患者のQOLが大きく低下することが知られています。当研究室では、抗がん薬シスプラチンにより生じる感覚異常発症機構の解明や、ラベンダーやベルガモットなどの精油に含まれる成分であるリナロール香気に着目した口腔内疼痛緩和への効果を検討しています。

2)口腔細菌叢バランスと口腔内疼痛

潰瘍性口内炎モデルの粘膜上皮剥離(Hitomi et al., 2015)

近年、口腔細菌叢バランスが注目されており、う蝕や歯周病、口腔乾燥やがん治療などで口腔細菌叢のバランスが変化することが報告されています(Mougeot et al., 2019)。潰瘍性口内炎モデルに発症する接触痛や自発痛には潰瘍部に侵入した口腔内細菌が強く関与することからも(Nodai et al., 2018)、口腔細菌叢バランスと口腔内疼痛との関連を解明することは重要だと考えています。

3)幼少期ストレスの口腔内感覚変調メカニズムの解明

幼少期ストレスモデルの三叉神経脊髄路核尾側亜核におけるミクログリアの発現(Matsui et al., 2021)

出生直後に受けた顔面皮膚の傷害により、成熟期における口腔内疼痛感受性が増強します(Matsui et al., 2021; Soma et al., 2020)。神経系の発達段階に受ける様々なストレスによって神経系にどのような変化をもたらすのか明らかにしていきます。